全てを乗り越えて〜心の傷の治し方〜

アダルトチルドレン 、恋愛依存、摂食障害、ADHD、アスペルガー、フレネミー、全てのパーソナリティを乗り越えて

私の人生①

 

 

よし!さっそくブログを書くぞ!

コーヒー飲んだら眠気がとんだのでいっぱい書けそうだ。

あ、私はHSPでもあるのでカフェインがほんとによく効いてくれるのです。

 

 

 

25年前、

父親57歳、母親39歳、兄10歳、兄9歳

の家族の中に私は生まれました。

兄は母の連れ後で父親とは血がつながっていなく、

父・私(血が繋がってる)

父・兄(血が繋がってない)

母・私、兄(血が繋がってる)

こんな感じだった。

 

小さい頃の私はおとなしく、おっとりしていて

あまりぎゃーぎゃー騒ぐ子ではなかったらしい。

今思えば父の強い支配から自分の事が言えなかったんだろうけど。

 

まず父は私を溺愛してた。

57歳で初婚、初めての娘、という事で私を会う人会う人に自慢してた。

父は自分では気が付いてるのか分からないけれど、

劣等感の塊で、自分よりはるかに若い母と結婚した事、

私が生まれた事を周りに自慢したくてたまらなかった。

自分の理想を期待を私に押し付けていた。

だから私が自分の意見や嫌な事を嫌と言うと怒り、暴力で阻止した。

覚えてる限りだと3歳くらいから蹴られて大泣きしてた。

私はなんであの時自分が怒られていたのか、自分が何をしてしまって

怒られているのか分からないまま、自分がおとなしくなる事で身を守ってた。

父から完全に支配されてた。

父は常日頃から暴力というよりは、機嫌がいい時は私を溺愛し、

なんでも買ってくれ、何しても褒めて、

公園に連れて行ってくれたり、そんな思い出もある。

でも父にとって理想の私でない時は怒られた。殴られた。

だから私は自分を見失ったまま怒りや悲しみを抑圧してそれすらも気が付かないまま生きていた。

 

父は神社の神主をやっていたり、そっちの世界の人だった。

よく相談に来る人もいた。

なんであんなサイコパス自己愛性人格障害DV男に人が集まるのか分からないが、

その辺の力と才能はあった。

(パーソナリティに問題?がある人ってそっちにいく傾向があると思う。私もだけどw)

だから小さい頃から巫女になりなさいと言われ、

(私はなりたくなかったのだが)

何かある度に寺にあずけちゃうよ!そんなんじゃお寺の人も怒るよ!

お寺に行ってなおしてきなさい!あそこは本当に厳しいんだからね!と言われてた。

当時の私はそれを信じて、嫌だこわい、ごめんなさい、となってた。

今思えば子供にやっちゃかんやつをやられていた。笑

小さい時から脅されて支配される事を覚えた。(自覚なし)

 

そして外に出て誰かと会う度に私を自慢する父。

私はそれが嫌で嫌で恥ずかしくてたまらなかった。

周りの人の反応を見ていた。

私が人の気持ちをエスパー並みに分かってしまうのはここからきてる気がする。

素直に私を褒めてくれたり父にすごいですね、と言ってくれる人もいた。

でも、何言ってんだこいつ、この子もこんな父親だから甘やかされてるのよねー、

この母親もこんな人と結婚したんだw、

みたいな心の声を見逃さなかった。

父は背が小さくて小太りでハゲで白髪で仙人みたいな白いひげを生やしてて

(リアル水戸黄門

目立ちたがり屋だったからどこ行っても目立とうとして

すれ違う人が笑ってこっち見てたりバカにしてる声を聞いては

私は恥ずかしさと劣等感でいっぱいだった。

やめてほしかった。父にブチぎれたかった。

でも何回か伝えても怒りで返され、私がそんな事言うなんてお父さんかわいそう、

と罪悪感をすりこまれたのでこんな事思ってお父さんかわいそう。。

ああ、私なんかどうせ、、、と行き所のない感情を封印して劣等感だけぐんぐんと育った。笑

だから褒められる事が大嫌いで苦手だった。

父の溺愛したり暴力したりの矛盾からか、

父をバカにする周り人たちを見てきたからか、

褒められても、どうせ思ってないくせにって怒りと、恥ずかしさでいっぱいだった。

きっと、褒められる=父が過剰だから周りの人がバカにする=恥ずかしくて死にそう

こんな感じだったんだろ思う。

だから七五三も嫌いだったし写真を撮るのも嫌いだった。

父が褒めてくるから。

中学生になってセーラー服を着るのも嫌だった。

父が褒めてくるのが目に見えていたから。

私は人生の序盤から回避性パーソナリティ障害になってた。(今思えば)

だから恥をかく、傷つく事から逃げたいから

家族以外の人と話すのが苦手だし、おどおどしてたし、

父がお店の人に挨拶しなさいと言われても

からしたら恐怖であり、嫌でたまらなかった。

目立ちたくなかった。恥をかく可能性が増えるから。

だから私は静かでおとなしい子だったんだと思う。

 

父にとってのいい子を常に押し付けられ、

私は父にとっての劣等感を埋める一つのものであり、

ありのままを愛されてる感じはなかった。(今思えば)

でも私はあれもしてくれたし、これもしてくれたし、と

感謝する事にフォーカスしていた。

自分の抑圧したものを無視して。