私の人生④
そして私は幼稚園へ上がる。
そう、こっからがハードモードのスタートだったww
私は家の中ではいい子ながらもみんなと話せるし自分も割かし話せる。
でも、一歩外に出たら訳が分からなかった。
・どんな自分で話していいか分からない(しかも対大人数)
・相手が攻撃してくるんじゃないかと恐い
・とりあえず幼稚園、に行きたくない。
・おうちに帰りたい、お父さんとお母さんに会いたい
こんな感じだった。
まず一つ目の幼稚園が、(途中でお引越ししたので)
私立のいいとこの幼稚園で、ここでいじめられたとかは記憶にないのだが、
とにかく自分の事、何も言えない。笑
例えば〇〇ちゃんが私にあれしようよ!!と言ってきても
嫌でも断れずヘラヘラ笑ってとりあえず一緒にやる。
私はトマトが食べれないんだけど、同じクラスの子が冷凍プチトマトをもってきてみんなに配布してみんなで食べるんだけど、
私は断れないから仕方なく口に入れるものの、食べれないので口の中でかまずに
静かにほっぺたで待機させたまま帰宅。www
だからもうこの辺りから自分の意見を言えない、という事を発揮させていた。笑
自分の事言えないから嫌な事も笑顔でする、大人になってから気が付いたけどこれってかなりのストレス。笑
小さいながらに生きづらさがスタートしていた。
そしてお引越しして新しい幼稚園。
ここは2週間くらいでやめてしまう。。
こんなおとなしくて自分の事何も言えない子を支配的な子がほっとくわけないんだよね。
私は支配的な子に出会い何から何までお世話されて嫌と言えず、
私はあまり覚えてないのだけど、母いわく、嫌で嫌で帰ってきたら大泣きしていたらしい。
小さい頃の私、なぜ、そんな我慢するのか。。苦笑
私を心配して幼稚園を変えた。
新しい幼稚園ではなんとかうまくいって卒園までいれた。笑
でもここでも私のパーソナルの歪みを発揮していた。
私はおっとりであり静かだけど、本当の自分のどこかに活発な目立ちたがり屋なところもあったから、たまにそれが出た。
そんな時、支配的な子につぶされる。笑
仲間に入れてくれない、バカにされる、なんてよくあった。
そして私も自分より弱そうな子がうざく感じて、ハバにしたりしようとしたりしていた。
私がそうした子はほんと弱そうで優しい子か家族が暖かそうで羨ましくてむかついてしまった。。
やられた事もあればもっと弱そうな子をやる、という陰湿な事をしていた。。
今思えば私に意地悪をした子は私が弱そうでなんでも言いやすくて
私は家のうっぷんや友達への妬みや羨ましさを攻撃として発散していたんだと思う。。
あと、母が私を見てママ友活動を頑張ってくれたり、
PTAの会長さんをやってくれたおかげもあったと思う。
幼稚園の中で母はママの中でボス的だったと思う。
ここにきて支配力をよくも悪くも発揮していた。
あと、幼稚園に入って気がついてしまったのが、
”父が周りと違う”だった。。
友達のお父さんはみんな若くて自分だけおじいちゃんみたいな人がお父さん、という事に気がついた。
バカにされたりハゲー!と言われたり、悔しくて悲しいのに私は何も言えなくてヘラヘラ笑ってた。
当時はまだお父さん大好き芸人だったので、
お父さんが来るたびに何も思わなかったけど、
自宅で仕事をしている父は友達のお父さんよりはるかに幼稚園に来ていた。
それも心のどこかで恥ずかしかった。
そして私の家は全然家族旅行に行かなったので、
友達からディズニーのおみやげをもらったり、
どこかに行ったエピソードを聞く度に羨ましくて悲しかった。
家族でディズニーなんて今でも行ったことがない!笑
それに習い事もさせてくれなかった。
近所の習字にすら行かせてもらえなかった。
だから習い事をしてる子が羨ましくてしょうがなかった。
忘れてたけど思いだすと胸が痛む。。w
習い事がしたい、ディズニーランドに行きたいと言っても
危ないから、地震が来るかもしれないから、と言われて怒られた。
(今思えばつっこむところありすぎて辛い)