私の人生⑥
父が学校によくいるのは6年間続いた。
先生も父に頭が上がらなかった。
父は完全に支配者だった。
でも父のやり方は兄や私にやるやり方と同様、ひどかった。
怒る対象の人を職員室のみんながいる前で怒鳴り散らす。
恥をかかせる。
私がその立場だったら恥ずかしくて死にたいし、父を恨むと思う。
だからボランティアの〇〇さん、のいい父親のイメージも、
一部からは最低な人と恨まれていたと思う。
私の登校拒否は低学年で終わらなかった。
何かある度に学校に行くのが怖くなったり、
学年が上がってクラス替えの度に登校拒否を起こしていた。
環境の変化が特に苦手だった。
でもある程度なれると学校に行けるようにはなった。
弱弱しく、傷つきやすい私だけど、心の奥では友達がほしかったのか
誰これかまわずよく話しかけて遊んでいた。もちろん意地悪な子にあたって傷ついてパニックを起こした事も多々。笑
入れてと言っても拒否されたり、(ひどい笑)
私と意地悪な子、支配的な子は切っても切れなかった。
潜在意識的な話になるので別記事に書きます。
高学年になり部活に入っても、
当時はバスケットボール部に入ったが、
なんでか理解力が乏しい私。
行動も遅いしのろのろだしど天然が炸裂する。
チーム戦のバスケットーボール、当然私は邪魔者になる。
続けたい反面、みんなの視線が怖くて、一向にスムーズにやれなくてやめました。涙
半年くらいかな、やったの。。よく続いたわ!笑
その後も吹奏楽部に入るものの、変なところでコツをつかむのは得意な私はすぐに吹けるようになった。
でも、当時違う事で(なんの事か思い出せない・・)
悩んで不安で落ち込んで登校拒否モードに入っていたの、
部活を続けるのもしんどくなりやめる。
結局、何も続かなかった・・・
学年を重ねるごとに、登校拒否スイッチはあるものの、
だんだんと強くなっていたところもあった。
母よく私に、何かあったら言い返しなさい、一発殴ってやりなさいと言っていた。
私はそれを真に受けて、だんだんと言い返すようになった。
傷ついては学校に行けなくなる日もあったが、
言われるだけではなく、喧嘩、になる事もよくあった。
いい子もいたけど、なんでか私の周りは意地悪だったり支配的な子がよくいた。
まあ私が引き寄せていたんだけど。(別記事)
特に男の子に対してはかなりの強気だった。
多分2番目との口喧嘩のおかげ(おかげ?)か、
負ける自信がなかったのかボロクソに相手に言っていた。
女の子にはそれはできなかったけど。。
だから男の子は泣かしたり、モラハラに近かったと思う。
私は変なところがおかしいくらい弱くて、
変なところがめちゃくちゃ気を強くてお前なんて簡単に傷つけれるのにって思っているところがあった。(歪んでる・・)
父の影響で心の奥底で男をバカにしていたり、
抑圧した怒りを発散したかったんだと思う。。
でも、男の子といる方が私にとって楽だった。
兄で慣れているからか、気を使わなくていいしなんでも言えたから。
女子はいちいちめんどくさかった。
だから私は女友達より男の子といる事が増えた。