全てを乗り越えて〜心の傷の治し方〜

アダルトチルドレン 、恋愛依存、摂食障害、ADHD、アスペルガー、フレネミー、全てのパーソナリティを乗り越えて

私の人生⑦

 

 

 

そんな小学校生活を送っていた私。

(もちろんちゃんと楽しい事もあったよ・・!)

 

結局習い事はずっとさせてもらえず、

父は最後まで小学校によく来て、

母も一緒に来ることもあり、

高学年の頃には過保護すぎて恥ずかしさが強くなっていた。

 

ちなみに家の中はどうなってたかというと、

まず父と母の喧嘩が毎回ひどかった。

父の暴力もひどくなったし、母は殴られて顔や唇が腫れたり、

父はよく腕をひねる術を使ってきたので母の腕が何回か折れかけた。

兄は定規や竹ぼうきで殴られたりとにかく父の訳分からない地雷を踏むたびにブチ切れられていて、

私も追い掛け回されて殴られまくったりよくあった。

おかしい、おかしすぎる。。今思えばおかしい。

けど当時はおかしいと分かりながらもこれが私の家だったから何もできなかった。

警察もよく来た。

なんで警察を呼んだのかは覚えてないけれど、多分最初は母が呼んだのかな?

父は警察を呼ばれるのが嫌がっていた気がする・・ずるいなむかつくな・・

私も呼んだ事がある・・泣きながら警察の人に話してた気がする。(当時小2くらい)

警察の人も、来るたびに、あ、また喧嘩しちゃったの!みたいな対応になっていった。

そりゃそうだわ・・・営業妨害もいいとこよ・・

今思えばただの恥さらしやないか・・

で、父と母の話を聞いて、いつも私を一番心配してくれた。

この子が本当にかわいそうだからやめなさい、って。

 

よく言った!そうだよ!!!!!

 

と心の中で感激と涙・・。

警察の人は私にあなたはどうしたいの?って聞いてきて

私はいつも「離婚してほしい」と言っていた。

本当にそう思っていた。

なんで同じ事繰り返してみんな辛い思いしてるのか分からなかった。

そして父から心の奥底では離れたくてたまらなかった。

でも警察官の人は、私に仲直りしてほしい、と言わせてそれで両親に反省させたかったみたいで、私が離婚してほしいと言う度に「えっ」って反応してた。

でも私はそれが一番いいと思ったから。てかそうでしょう。

 

でも父は殴るし物を使って脅してくるし、

母は窓を開けて「助けてー!!殺されるー!!!」

って叫びさすし恥ずかしいし、

包丁を持っては死んでやるーーーー!!!!ってやるし

泣いてる反面心の中で

はあ。なんだこれは・・疲れたわ・・・って疲労してた。

父もおかしいし母ももうやめてくれ・・と心の中で叫んでた。

喧嘩を止めたり母は叫んだり父が暴れたり、もうハッチャメチャに暴れてやりたい、そんな気持ちだった。

 

毎日そういう訳じゃないけど、

もめてない時も父の足音で私や兄はビクビクとしていたり、

何かある度にすぐキレるから父を避けたり、

父の顔色をうかがって生きてるみたいだった。

 

私は当時お片付けが本当にできなかった。

というより、分からなかった。どう片づけていいのか分からないし、

どんだけ母に整理整頓してもらっても気が付いたらグチャグチャにしてしまう。

ADHDが出ていたんだと思うけど。。

 

あと、兄の影響でゲーム大好きっ子な私はゲームに依存していた。

ひたすらゲームをしては怒られた。

機嫌のいい時はカセットを買い与えてくれたりコントローラーを買ってくれたりするのに、

ずっとしてると怒られた。それは普通か!笑

でも、私からしたら習い事もやらせてもらえず、友達も毎日のように遊んでくれず、

特に長期連休は人と会わなかったら暇でしょうがなかった。

テレビを見るかゲームするか。

親も喫茶店くらいしか連れて行ってくれなかった。

 

ゲーム大好きから、絵を描く事が好きだった私は、

ゲーム攻略サイトお絵かき掲示板にはまりだした。

こっからパソコン依存になっていった。

 

小学生ながらに依存症が発症していた。