全てを乗り越えて〜心の傷の治し方〜

アダルトチルドレン 、恋愛依存、摂食障害、ADHD、アスペルガー、フレネミー、全てのパーソナリティを乗り越えて

私の人生⑧

 

 

当時の私は牧場物語というゲームが好きで、

その攻略サイトお絵かき掲示板で絵を描くのが好きだった。

そこからチャットやメールでタイピングが早くなり、

ペンタブを買ってもらって絵を描き、

ホームページやブログでそれを投稿していた。

だから小学生ながらにHTMLやタグが得意だった。

私は完全にパソコンとネットに依存した。

そこで出来た友達と文通をしたりした。

 

そんな感じで予定のない日や、長期休暇はひたすらパソコンをしていた。

やりすぎてはぶちぎれられ、ほとぼりがすぎたらパソコンをひたすらやってを繰り返してた。

おかげでタイピングが無駄に早くなりいずれ事務職につく。笑

私的に私のような感情を抑圧して、発散するところもなく

自分を満たせずでも逃げたい、そんな人が依存に走ると思う。

じゃないと現実に襲われる。

逃げたくて不安で考えたくもない現実と向き合う強さなんて私にはなかった。

 

そうやっていった矢先、私の体に変化が出てきた。

私はもともと少しポッチャリしていたのだが、急に痩せはじめた。

周りにダイエットしたの?とか言われたけど、何もしてなかった。

結局ガリガリになった頃に体の不調で病院に行ったら病気が発覚して即入院だった。

今でもその病気の薬を服用してる。

つまり、治らない病気になった。

病名はふせるけど、今思えばなぜもっと早く気がつかなかったのか。。

担当医にもそう言われた。

というわけで小6の終わりに入院スタートww

 

ちょうどその辺りに友達に裏切られたところで病んでいたのと、

家から離れられたのは一人になれたのはちょうどよかった。

私はずっと心のどこかで、私が大病になったら心配される、

現実から逃げれる、私の苦しみを分かってもらえる、

そんな事を思っていた。

だからほんとに病気になった時、変な話だけど嬉しかった。

悲劇のヒロインになれたような感じがして。

 

でも、現実はそんな事はなかった。

母すごく心配してた。

病気について調べまくって、毎日お見舞いに来てくれて、私の卒業式に着る服を隣で手縫いしてくれてた。

今思うとこういうとこめちゃ優しいのに大事な所がおかしくて私の性格も怒りたいところで怒れなくてでも悲しくて歪んでいった気がする。

父はというと、パソコンをやりすぎたからこうなったんだ、と怒り、(意味が分からない)

変な姿勢だったからだ、家にずっといるからだ、

挙句の果てには私が病気になってお父さんかわいそうって真剣に言っていた。

私は真剣に意味が分からなかった。

兄達も心配してお見舞いに来てくれてた。

父はお母さんに頼んで来るのを拒否していた。

 

結局卒業式のギリギリまで私は入院した。

無事卒業式にも出れたし、みんな優しくしてくれた。

 

でも家に戻って待っていたのは、

父の病気治す為に毎日足をあっためろ、と足湯?と父のマッサージだった。

父のマッサージは頼んでもないのに、拒否するとぶちぎれられるし、

痛いと言うとそれだけ悪いんだと怒られるし、

ぶつくさ愚痴を私に言い続けながらマッサージするし、

それを拒否すると怒るし、

ただの拷問だった。。苦笑

 

治すためにあれを飲めこれを飲めと押し付けられるし、

このストレスを全て取り除いたら私立ち直れるのになって思いながら

言われるがままにするしかなかった。

この頃から私は父への反抗心と嫌いという気持ちが強く出るようになった。

それに比例して父の暴力と怒りが大きくなっていった。