全てを乗り越えて〜心の傷の治し方〜

アダルトチルドレン 、恋愛依存、摂食障害、ADHD、アスペルガー、フレネミー、全てのパーソナリティを乗り越えて

私の人生⑯

 

そして高校最後の年。

 

この年もなんかどよーーんとしたまま終わった気がする。

私の学生時代はどよーんで鬱で悲しくて怒りで羨ましくてそんな感じだった。

青春を謳歌している人達が羨ましくてたまらなかった。。

 

 

病んでるのがデフォルトだった。

友達もいるし、毎日笑ってる。

バイトもして休みは友達やバイトの人と遊んで。

でも家はあいかわらずで、逃げ出したくて

友達も楽しそうで羨ましくて

男友達とも笑って話す反面、めちゃいじられたりバカにされたりして

恋愛もうまくいかなくて

 

はぁーーーーーーっていつもこんな感じだった。笑涙

 

 

高3といえば、同じクラスになった女の子に

こりゃまたメンヘラ?っぽい子がいて、

私を個人的に気になってたのか、男友達とよくいるから

それで私に近づきたかったのか分からないけど、

私のリアルタイム(懐かしいw)とか毎日ストーカーばりに見てきたり、

なのに直接は話しかけてこなくて、なんか陰湿な子だった。

その子が1回私のリアルタイムの愚痴を自分の事だと勘違いして、

それを男子達に言って男子を味方につけて、

私を攻撃?してきた事があった。

 

 

いつも思うんだけど、なんで私はこういう巻き込まれ?

にあうんだろう。。。

最初は気にしてなかったけど、

男子って言い方えぐいんだよね、女子みたいに陰湿じゃないけど

私=性格悪いいじめる女

みたいになってたから、猛攻撃だった。

のくせ、直接は言ってこないで、聞こえてくる私の悪口がストレート?

に傷ついた。(分かりずらいw)

もちろん家で激落ち込みするから親に聞かれ、話してしまう私。

高校生にも関わらず親はぶちぎれ、私の担任に伝えた。

そして私の担任はその女に話す。

女、その事をみんなに言いふらす。

私は余計に叩かれる。涙笑

私は、はあ、またか・・疲れたなあって思ってた。

 

しかもその時、片思いしてた人がいて、

その人に恋愛依存爆発して死ぬほど病んでいた時だったので、

もうあっちにこっちにメンタルがボロボロだったww

 

 

そしてある日廊下で爆発して大泣きした。

そしたら仲良かった男の子が私を見かねて、

そんなに辛かったんか!!と私の話を聞いてくれて、

誤解だった事を理解され、その男の子を通してみんなに伝わった。

私の冤罪は晴れた・・

(その男の子達は今でも飲みに行く中です!

 私をいじってバカにしたのは中々許せないけど・・)

 

 

でも、恋愛の方は全っ然うまくいかず、

都合のいい女になったり、連絡がとれなくなったり、

お金を貸してしまったり。

(昔の自分をひっぱたきたいw)

 

でも私はその人しか見えず、

大好きで、毎日ひたすら病んで、会いたくてたまらなかった。

どうしてどうしてって毎日思ってた。

勉強も手につかず毎日泣いてた。

クラスでビリを連続で出してしまった。

赤点常習犯にもなった。

でも私からしたらそれどころじゃなかった・・

本当、アホなんだけどね。。

 

 

親も黙ってはいなかった。

父はもう勉強の事で怒る事は少なくなって、

母がどうして恋愛なんかで人生を棒に振るような事するの!!って

よくぶちぎれられてた。(正論すぎるんですけどね・・)

 

でも私からしたら、分かってるんだよ、

でも、その事(恋愛)しか見えなかった。

あの時みたいに優しくしてほしい、もしかしたらまた変わるかもしれない・・

って執着していた。

私は恋愛=居場所だとずっと思いこんでいたので、

この居場所を手放すわけにはいかないって思ってた。

 

ほんとに、ほんとに、ほんっとーーーにバカすぎるんだけど・・・

 

 

バカすぎるんだけど、だったらもっと私が恋愛に依存しなくても

いいくらいの暖かい家庭であってよ!!!!なんて思ってた。

 

 

今思えばね、

どうしてあんなにバカにされたんだろうって。

生きてるだけで、人間いいはずなのにって。

人をバカにしたり、見下す人はその人の心に問題があって

私には問題なんてなかったのに。

私はいつも巻き込まれてバカにされて見下されて笑われて。

怒って良かったしもっと大泣きしてよかったし

言い返したってよかったのに・・

自分を責める事しかできなくて。

過食して太ってしまうのも、それくらい心がいっぱいで逃げようとしてたからなのに

たくさんたくさん耐えて我慢してきたのに

私はそいつらの言葉を受け入れてしまってた。

自尊心がないと、どこまでも自分を嫌いになってしまう。

 

私はあの時に戻って自分を思い切り抱きしめたいよ。

太っててもいいよ、食べてもいいよ、泣いても、怒ってもいいよって。

それだけ辛かったんだよね、居場所がなかったねって

ぎゅーーーーーってしてあげたい。

 

 

この辺は思い出すと心がチクチクするなあ・・。

 

 

私の人生⑮

 

 

 

更新が遅れました。。(誰も見てないけどw)

 

なんか自分の人生を思い出してブログに書いてたら

鬱モードになっちゃって。爆

すごい眠気とだるさとネガティブな感情が込み上げてました。

好転反応かなんかだったのかなぁ・・

今はまた元気に復活です。

 

では続き。

 

 

高2になってクラス替えがあった。

私の学校は文系と理系と、専門学校&就職する、コースの3つがあって、

私は専門学校に行きたかったので3つ目のコースにした。

そのクラスは就職コースでもあったのでほとんど男子クラスだった。

仲のいい女の子も隣のクラスになってしまい、

2年生初日から泣いていた。(登校拒否モード入る)

でも隣のクラスですぐ会いに来てくれたり、

体育が一緒だったのが救いだった。

 

 

そして同じクラスで仲良くなった女の子(2こ1的な)が

こりゃまたメンヘラで支配的な女の子だった。

私はあんまり外のは自分のダークさを出さない方だった(つもり)だが、

その子はもう何かあると泣く、過去恋愛エピソードが闇、

私に依存的、そんな子だった。

もちろんこういうタイプの子はやたらお世話してくれるし、

(私は生粋の末っ子気質&ADHDで何もできないので・・)

優しいところもあった。

でもやっぱり支配的な人や、その子のメンヘラなとこ?

を受け入れれる程の心の余裕がなかった私には正直しんどい面が多かった。

(ごめんなさい・・)

 

恋愛も付き合っては別れたり、一夜限りをしてしまったり、

その後連絡がとれなくなったり、(死ぬほど病んだ)

付き合ったらその友達に死ぬほど私の存在をバカにされて、

当時の彼氏もその情報で私と一緒にいる事が恥ずかしくなって私は振られ、

散々悪口言われ、高2も中2ばりの人生のトラウマだらけな年だった。

私は中学の頃から化粧を研究し続けたのと、

ちょうどこのくらいの時にカラコンがメジャーとなっていたので、

だいぶ化粧で変わるようになった。

それを自分のデコログなどにのせていたら、

クラスの男子に詐欺やらすっぴんやばいやら、言われまくった。

当時はヘラヘラ笑って笑えば笑うほどいじられて心の中は傷つきまくってた。

そしてこれがトラウマになり、後に醜形恐怖症になった。

そして過食も高校になってから酷くなった。

夏休みには頑張って痩せては、結局リバウンド。

その度にクラスの男子に笑われ、いじられ、バカにされる。

どうせ私なんてなって思ってた。この時も。

人生やり直せたらなって。

あの子みたいに可愛くて、こんなバカにもされなかったらな。

恋愛もうまくいくのかな、ブスだと思うから化粧を駆使してるのに

それでもバカにしてくるんだろう、ブスはブスのままバカにされ続けないといけないの?

そんな事を思っては病んで過食した。

 

毎日満たされなかった。

私の人生はバカにされてばかりだって思った。

もっと細くて、可愛いくなりたい。

私はありのままいたら、嫌われてしまう。

バカにされる。

これ以上は嫌だ。

ただ普通に毎日生きて、彼氏もできて、あったかい場所に行きたい

ただそれだけなのにちっともかなわない、むしろずっとバカにされる。

辛かった。

友達が羨ましかった。

なんで私は手に入らないんだろうって。

みんなと何が違うんだろう、どうして生きてるだけでダメなんだろう

頑張ってるのにたくさん我慢して辛い思いして耐えてきたのに

何でなんだろう。。

 

あーーー思い出すと泣けてくるwww

 

 

学校以外では、バイトをいくつかやっていた。

それで友達や先輩が増えたり、

夏は海に行ったりバーベキューに行ったり、

飲み会に参加したり、

そこは自分も友達のように人生楽しんでる感じがして良かった。

でも親の規制がすごくて、門限で帰る事もよくあった。

みんなに厳しいね!!って言われて、

みんなは自由に生きているのにどうして私は・・ってなんとも言えない気持ちだった。

 

 

高2はここに書ききれないくらい色々な事が起きた。

とてもヤケクソに生きて散々傷ついた1年だった。

 

 

 

 

私の人生⑭

 

 

高校になる直前に私は恋をした。

元々恋愛体質恋愛依存の私だけど、

めちゃくちゃハマってしまう事になる。

 

高校は別だったけど、

今思えばめっちゃモラハラ気質な人に恋をした。

ぱっと見は頭がよくて、リーダー気質で、おもしろくて、

でも本当の彼は自信がなくて、人を見下して、

平気で傷つく事を言うし(私だったからかも)

彼の兄が頭がよく、それでいつも比べられていたみたいで、

そのうっぷんを私に晴らしてるようだった。

 

少し付き合ったけど、一瞬で別れた。(笑)

でも、当時恋愛体質恋愛依存、尽くす事が大好き、

一度振られたくらいじゃめげないぜ!!な私は(変なとこポジティブww)

彼ぞっこんだった。

彼はもう、どんどん支配的になり、私をバカにし、見下し、嫉妬させ、私を傷つけた。

でも私は悲しいのに離れられない、いつかまたあの日が戻ってくる・・と訳分からない執着で彼を追っていた。

でも追えば追うほど病んだ。

バカにされるし、傷けられるし、ひどい事を言われる。

あと〇キロ痩せたらね。〇〇ちゃんだったらいいのに。

一緒にいるとこ見られたら恥ずかしいから。

もっと可愛い子がいい。

二重になったらね。(この後アイプチを駆使して二重になるww)

 

こいつ何様やねん

 

 

今ね、今はそう思う何してたんだろ自分って。

でも当時の私はそれでも追いかけてた。

そして病んだ。

どんだけバカにされたの??ってくらいバカにされたよw

結局間に他の好きな人ができたり、彼氏が出来ても、

腐れ縁が数年続いた。

 

そして高校生活が始まる。

今でも友達と笑い話になるのだが、

高校こそ楽しくはじけてやる!!!精神が強かった私は、

高校初めての日に、同じクラスに可愛い子を見つけて(可愛い子大好き)

自分を偽って?ww

めちゃ明るく振る舞い、イェーーイと接する。

(分かりにくいけど、簡単にいうと入学式の日に頑張ったの。笑)

そして帰宅後、疲れ果てて号泣。

もう高校無理・・行きたくない。。と病む。

ほんと昔からこんな奴だったな私・・

 

でも仲良し4人組ができて、割と楽しく過ごせることができた。

でも、そんな日々でも病んだ。

私の心に生きててハッピー!!なんて日はなかった。(苦笑)

 

まず家の中。

父への反抗心がすごくていつも喧嘩していた。

たくさん殴られたし、首もしめてくるようになった。

ひどい時は目を殴られて目の白いとこが真っ赤になって失明しかけた事もあった。

この時の私は感情的になるともう抑えられなかった。

今まで溜まった感情も爆発するのか、

頭が爆発しそうなくらいもう自分を抑える事ができなくて、

涙が止まらなくて、大声で叫んで、自分を殴りまくったり、物に当たったりした。

数年後にこれがパニックだと知った。

私は慢性的に家の中でパニックを起こしてた。

パニックを起こしてる時は、自分でも訳が分からなかった。

でも苦しくて泣けてきて自分が落ち着いた頃には疲労でぐったりで、

何してんだろ。。。って我に返ってた。

 

父はそんな私を見ると逃げるし、

母も、わざと知らんぷりするようになった。

殴りたいなら殴りなさいと言って、私が大声で叫んでも自分を殴っても

気が付いてないフリをしたり、わざとテレビに反応したり、

鼻歌歌ったりした。

その行動が私の中で余計に火に油を注ぐ事になった。

私はリストカットは怖くてできなかったのだが、

怒りや込み上げてくる感情を抑える時、自分を殴るのがクセになってしまってた。

分かってもらえない、わざと無視されている、そんな怒りでいっぱいだった。

 

私が死んだらやっと気が付くのだろうか。

ひどく反省して後悔でいっぱいになるのだろうか。

私はこんなに苦しいのに、放っておいて、

罪悪感でいっぱいにさせてやりたい。

と、復讐的な意味で自殺したくてたまらない時もあった。(怖)

 

私は心の奥がずっと満たされなくて

居場所を探して

何かから逃げたくて

心が安定しなくて不安で

そんな日々だった。(この後何年も続く笑)

 

恋愛がうまくいかなかったり、↑で話した男の子にバカにされたり

傷つく度にひどく病んだり、

友達がうらやましかったり

 

なんだろう、劣等感しかなかったと思う。

劣等感と怒り。そして現実逃避。

 

過食もやめられなかった。

 

そして高1の半ばくらいに、ひどい鬱になって精神科に何件かいった。

でも薬をもらうくらいで、とくに変化はなかった。

薬を飲んでも、なんとなく頭がぼーっとして、

聞こえてくる音が半音低く、遅く感じて、

ふあ~・・・といった感じだった。(分かりにくくてすいません)

結局飲まなくなり、病院もいかなくなった。

 

 

成績もドンドン落ちて行った。

恋愛で悩む度に何も手につかないくらい落ち込んだ。

今思うと本当にアホみたいだけど・・

当時の私はそれでも必死に生きてたんだと思う。

居場所を探すように恋愛に依存し、嫌な事から逃げるように過食し

それでも鬱になって毎日に黒いモヤがかかってるみたいだった。

成績が下がっては両親にひどく怒られてもめた。

何の為に学校に行ってるの、遊びに行ってるんじゃないよって何回も言われた。

そんな事、自分でも分かってた。

そして自分でも自分が分からなかった。

 

ただただ私は心から安心して安らぐ場所に逃げたかった。

一人になりたかった。

 

 

私の人生⑬

 

 

 

中3からは学校に行くようになった。

クラスは先生の配慮のおかげでハバにした子達とは離れ、

なじめるようになった。

とにかくみんな、勉強モードで、私も塾に通い始めた。

 

中3は中2の時より穏やかで平和だった。

でも情緒不安定な私は、点数が悪いたびに高校に行けなかったらどうしよう、と病んで落ち込んだ。(考えすぎ)

あと1番仲良かった女の子が運動もできて勉強もできて級長でモテる、という、

私の劣等感をエブリディ刺激す子だった。(本人は悪気ないんだけどね笑)

そして、塾に通っても、勉強をしても、点数はよくならなかった。

どれだけ頑張っても学年の真ん中くらいだった。

当時の私は今よりも一点集中型で、白黒思考が激しくて、

めっちゃ頑張れば学年1ケタいける、って思ってた(アホすぎる)

でもいざ勉強しだすと気がちって違う事がしたくなる。

携帯を触りたくなる、なぜか編み物したくなる、掃除したくなる

そしてテスト前日に一気に追い込む。

学年の真ん中にいれたのも、塾のおかげだったと思う。

ADHD特有の多動性がはんぱなかった。

後回しクセもかな?

変なところでめちゃくちゃ集中できるのに、

大事なところで全く集中できない。

無理して頑張ろうとすると、前頭葉がカーッ!!と熱くなって脳疲労のようになる。

(私だけ・・?)

結局決めた高校は私立の高校だった。

 

そして、中3でみんな思春期真っ只中だからか、

男子達がやたら女子の事を言うようになった。

あの子がデブだの、あの子はおしいだの、

可愛いだの、細いだの・・

持病でガリガリに痩せたものの、中2の転校ストレスで

かなりリバウンドし、ぽっちゃりしてしまった私はその批判を真に受けて、

自分は痩せないといけない、そう感じた。

 

この思いがいずれの摂食障害へのスタートになる。。

私は最初やった事は、とにかく食べないだった。

食べても少しだけ。

チマチマと頑張れない私は食べなきゃ一気に痩せるだろうと思っていた。

そしたら一気に痩せた。

あっという間に痩せた。

でも、減らないとイライラし、少しでも食べすぎると罪悪感に襲われ、

家族がお菓子を食べてると腹が立った。

そして、修学旅行から帰ってきた数日後に、

今までなら興味のないお菓子を一口食べた瞬間に、

今までの我慢が爆発した。

もう止まらなくて、無限に食べた。

頭の奥がスカー!!として、快感で、おいしくて、

今まで満腹になったらもう食べれない、と思ってたものも、

もっと食べたい、もっと食べたい。。。となって無我夢中に食べた。

そこから一気にリバウンドし、過食を覚えた。

 

菓子パンなんてあっという間になくなってしまうし、

一袋、ではなくて一箱食べないと気が済まないし、

その後に晩御飯を食べる。

 

あっという間に太った。

 

でも食欲は抑えられなかった。

満たされない何かを求めるようにうめるように食べた。

 

そしたら仲のいい男子から、太った?といじられるようになった。

私はヘラヘラ笑っていたが、劣等感の塊の私は内心すごい傷ついて焦っていた。

バカにされる、嫌われる、また一人ぼっちになる・・

だからランニングしたり、ダイエットDVDをしたりした。

でも痩せなかった。

過食をやめる事はできなかった。

 

 

そして中学校が終わる頃に私は好きな子ができた。

 

 

わたしの人生⑫

 

 

転校してからも気をつかい続ける日々は変わらなく、

日焼け止めかしてー!8&4かしてー!これやってー!

を、断われない私。

少しでも断ると、は?という顔をされてそれが嫌でやってしまう。

はぁ、、なんてよわっちかったのだろう。。

好きな人が出来ても友達とだぶっていて、私は言いふらされ他のクラスにまで知れ渡ったり。(ここでまた登校拒否モードに入るw)

化粧の方法が分からないからって教えてあげてたら

私だけばれて友達はみんな逃げるハメになったり

気が小さく劣等感の塊で恥ずかしい事から回避したい人なのに承認欲求がタワー級合唱コンクールで識者をして、

結局あがり症が爆発して当日手が震えて半泣きで指揮をしてトラウマになったり、

(どうしてやったのか爆)

なんかちまちま?と嫌な事は続いた。

毎日、はぁ。。って感じで生きていた。

 

そして事件が起きる。

私にとっては今後かなり影響が出るとも知らずに。

 

何が起きたかというと、簡単に言ったらいじめ、ハバにされた。

生まれて初めて、あれ?おかしいな?とかじゃないあきらかにこれは!というハバにあった。

原因は、友達に何げなく言った言葉がいじめグループにちくられシャクにさわったみたいで、

次の日から挨拶無視、あからさまにバカにされる、こそこそこっちを見て何か言ってるのが分かる、みたいなのが起きた。

私はそういうのをすぐ分かってしまうから、あ、終わったなと思った。

なんか、真っ暗になった。

たかがそれだけの事かもしれない、よくある話なのかもしれない。

でも私はパニックだった。

攻撃される、一人になる、また変な噂を流される、バカにされる

色んな思いでパニックだった。

そして登校拒否になる。

親にも当然ばれる。

でも私はそれどころじゃなかった。どうしたらいいのか分からなかった。

どんな顔をして行けばいいのか分からなかった。

結局親に聞かれ、話したら親はぶちぎれで担任に電話。

母はその子を呼び出せと、いじめG、主犯親、先生で話し合う事になった。

私はまたもうどうしたらいいか分からなかった。

終わった、、、人生終わった・・・また何か言われる・・

でも親を止める事はできない。。

私は学校で親を呼び出してちくった人、と言われてしまうのではないか・・

色んな事を思いながら、話し合いをし、

その場ではみんな謝ってくれて、主犯の子も泣いていた。

私はなんだか申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいで消えたかった。

 

次の日からは、学校に行きなさいと言われ、

でも私は行きたくなかった。余計に行きたくなかった。

学校に行っても、ハバにした子達は普通に話してくれても、

どうせ影で何を言われてるか分からない、

変な噂を流されてるんじゃないか・・

クラスのみんなも私の事をどう思ってるんだろう・・

と恐くてたまらなかった。

私は結局誰も信じる事ができなくて、クラスの中で一人でいた。

それが一番できる防御だった。

みんな楽しそうにワイワイしてる中、泣きたくて帰りたくて不安で怖くて引きこもりたくて、そんな気持ちを我慢しながら、読書する事しかできなかった。

被害妄想かもしれない、でも周りがみんな敵に見えた。

だから一人の方が楽だった。

私はあの一人の数日を体験する事で、一人が怖くなくなってしまった。

むしろ、一人がいいと思う人になった。

 

 

そして結局数日後学校に行けなくなった。

夜が寝れなかった。

学校に行けない、前の学校に戻りたい

これからどうなるんだろう

ずっとモヤモヤしていた。

その気持ちを当時のリアルタイム(懐かしいw)に書き綴った。

そしたらそれをクラスの子が印刷して先生に渡したそうな。

今でも腹が立つ・・・

そんなこんなで人間不信が止まらなく、

やっと学校に行けるようになっても相談室登校になった。

終業式まで相談室登校をした。

 

 

そして3年生になった。

 

 

私の人生⑪

 

 

 

そしてお引越しをした。

新しい家は前の家よりも狭かった。

 

転校した初めての日、私は驚いた。

私が行っていた前の中学が校則が緩くてあか抜けていた事を思い知った。

 

めっちゃみんな挨拶してくる・・・!驚

みんな二つ縛りしてる・・!

スカートが長すぎる・・・・!

坊主多くね・・・・!?

ていうか、みんなダサいぞ・・・?

 

正直な感想だった。。(ごめんなさい)

 

私は地味なキャラでもなければ、キラキラ目立つ!というキャラでもなかったけど、

私は劣等感の塊で、

あと中1の時にキラキラグループは地味な子を嫌う、と感じていたので、

私から見たらみんな地味グループに見えて(ごめんなさい)

終わった・・・・・と思った。

人を見下したり対等に見ないのは小さな人間のする事だけど、

当時の劣等感いっぱいの私はその日からみんなを見下してダサいやつら・・

って心の中で思ってた。

自分もたいして可愛いわけでもないのに。

でも、今思えばそうやって攻撃される前に壁を作ろうと身を守っていたのかもしれない。

 

とりあえず私は黒染めと透明マネキュアを落とす事と、(これくらいはよくないか・・)

髪の毛を縛る事と、スカートを短くする事を命じられた。

 

新しいクラスに入ったら、私の新しい環境パニックが始まった。

周りは新しいものを見るようにじろじろと見てくるしこそこそ話してくる。

うざかった・・・本当に嫌だった。

今思えば幼少期の父が私を自慢してる時の周りの人の反応を見てる感じがしたんだと思う。

だから余計に一方的にみんなの事を嫌っていた。バカにした。

 

そして新しいクラスで自己紹介カードを書く時に、

小学生の時から宿題のプリントに名前を書く時にハートをいっぱい書いたり、

デコレーション?するのが好きだった私は、

その自己紹介をキラッキラにハートまみれにすごいクセの強いギャル字とギャル語でうめた。

そしたら悪目立ちしてしまった。

いつもこうやって私の心の奥の承認欲求が爆発しては悪目立ちしてしまう。

女の子達にこれってどういう意味なの?(当時のギャル語)

私もこんな風にしたい!かいてー!!って言われるようになった。

心の中では周りを警戒しバカにしてる私、でも弱っちい私、

断われずに、い、いいよー(ヘラヘラ)と言う。

 

こんな感じで周りの女子への対応が分からず気をとにかく使っていた。

そして同じクラスには学年1いじめっ子の女の子がいた。

どうしてか私はいつも引き寄せる。笑 涙

 

そんな感じでスタートし、ここでも林間学校があった。

過去2度の林間学校途中帰宅をしてきた私にとってはまた恐怖だった。

てか、転校してからメンタルが余計に不安定になっていた。

私みたいなやつが、転校なんて、かなりのハードルの高さだった。

というか、やっちゃいかんやつだったと思う。苦笑

 

でも、林間学校も情緒不安定が爆発しながらも

なんとか最後までいれることができた。(初めて帰宅せずにいれた・・w)

 

嫌ながらも頑張って学校生活を送っていたが、

事件が起きる。

私にとって中々のトラウマ級の事が起きる。

 

 

 

 

 

私の人生⑩

 

 

そんなこんなで、今まで心に封印していた父への嫌悪感は

だんだんと私の態度に出るようになった。

 

 ちなみに家の中でも、

相変わらず両親の喧嘩、父の暴力・支配は続いた。

 

その時心が荒れていた私は、なぜか、

次両親が大きな喧嘩をしたら髪を染めてやる、と思った。

そしたらすぐ喧嘩したので、チャリに乗って薬局へ行って染め粉を買った。

そして染めた。

 

母は知っていたけどまあいいんじゃない、くらいだった。

先生にも聞かれたけど、病気の副作用と言った。(嘘が雑)

父の存在もあってか校則が緩い学校だったからか先生もそれ以上聞いてこなかった。

ただ父は全く気が付かなかった。ばれたらぶちぎれられるからいいんだけど。

元々地毛が茶色かったからか、本当に何も気が付かなかった。

 

そして、私は先輩に目をつけられるようになった。

元々女の子と話すのは男子に話すほど得意ではなかったけど、

女嫌いになった決定的な出来事はこれだった。

 

女って本当に陰湿だよね。

目の前で悪口言ってくるし、嫌がらせしてくるし、

体当たりしてくるし、(これは何。。?w)

呼び出してくるし、

私を攻撃したくてたまらなかったんだと思う。。

プリクラ撮ってたらプリクラの機械を思い切り蹴られたり。

みんな、病んでたのかなって今は思う。

当時は嫌で嫌でたまらなかったけど。

私は染めてるからといってヤンキーでもなかったし、

でも嫌がらせをする人はヤンキーな先輩ばかりだったから、

心の中でヤンキーをバカにしていたのかもしれない。

でも心のどこかではそんなヤンキーに憧れを持ってたのかもしれない。

あと中学生アルアルなんだけど、靴下の長さを中1は短くしろ、みたいなのがあって、

親がそんなのいいから足冷えるから長くしろって事で長くしてた。

そしたらそれも攻撃の対象になった。

今思うと私は攻撃されるのをひどく怖がっているのに、

どこかに劣等感から承認欲求が強くて目立ちたかったのかもしれない。

私は違うんだ!のような。

それが結果的に攻撃される事に繋がった。

 

 

そして中1の終わりくらいの時に、引っ越す事が決まった。

ずっと引っ越すかもしれないとは聞いてたけど、このタイミングで決まった。

私は当然嫌だった。

クラスでは色々あったけど居心地よくはなっていた。

好きな子もいたし、とにかく嫌だった。

でも、引っ越す事は変えれなかった。

借家だったのだが、父が家を貸してくれてる人ともめたからだった。

追い出しみたいなもんだった。

私はめっちゃめっちゃ嫌だった。

色々あったけど小学生からいたこの町を引っ越すのが怖かった。

 

それもあってか家にいたくなくて、

友達と常に遊ぶ毎日が続いた。

 

そしたら外出禁止令をくらった。

転校する前のこの大切な時に!!!!怒

これは本当に忘れられない。

でも最後の少しの時間は友達を遊んだ気がする・・

最後の日はみんなにお手紙を書いて読んだなあ・・

思い返すとわけわからない事話してたと思う(自分語りのような笑)

 

そういえば、今までの担任の中で中1の先生が一番私をよく理解してくれた。

先生は私の事を正義感が強くてでも繊細で弱いとこもあるけど、変なところが大人になってる。って言われた。

よく分かってるなあって、中身もちゃんとみてくれてるみたいで嬉しかった。

私の父はそんな担任にも怒鳴りにいった事があったけど、

私が担任に、ごめんね、ごめんなさいって伝えたら、

大丈夫、分かってる、お前も大変だなって言ってくれた。

 

 

 

 

そんな感じで旅立った。